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シャネル

シャネルの誕生物語

「シャネル」が設立されたのは1914年までさかのぼることになります。
日本の歴史でいうと、大正時代に入って第一次世界大戦が始まった頃ですね。
第一次世界大戦

創業者のココ・シャネル(本名ガブリエル・ボヌール・シャネル)は、
フランス南西部の貧しい家に生まれました。
「きらびやかでエレガントな女性」っていうイメージの彼女ですが、
幼少時代はとっても厳しい生活を過ごしていました。
12歳の頃に母親が亡くなり、その後父親に捨てられた彼女は、
姉のジュリアと共に修道院で育ったんです。

勝ち気で目立ちたがり屋の彼女は、逆境にも決して負けませんでした。
あまりのお転婆ぶりに、姉のジュリアに迷惑をかけっ放しだったそうです。
そんなシャネルは、小さい頃からオシャレには強い興味をもっていました。
オシャレして皆の視線を浴びるのが大好きだったんです。
ファッション業界で花を咲かせる下地が、幼い時から備わってたんですね。
孤児という境遇でも、逆に「私の存在価値をいつか世の中に認めさてやる!」
っていう意志を持っていて、夢を諦めることはしませんでした。

ファッションへの興味が強かったシャネルは、修道院の中で裁縫などの
スキルを磨いていきました。
「好きなだけオシャレを楽しめる暮らし」を夢見て、フランスのとある
用品店でお針子として働き始めました。
当時、そのお店にはフランスの貴族たちが来店していたんですが、
ココ・シャネルはその中の資産家の御曹司、エティエンヌと恋に落ちます。
小さい頃から恋愛小説が大好きだった彼女は、恋の駆け引きにも長けて
いたといいます。
ココ・シャネル

この運命的な出逢いがきっかけとなって、シャネルは夢の階段を
駆け上がっていくことになりました。
「シャンソン歌手になれば、好きなドレスを着て人々の賞賛を浴びられる」
と考えた彼女は、恋人のエティエンヌのサポートを受け、歌手の卵として
デビューを果たしました。
その頃に「ココ」っていう愛称で呼ばれていたことから、後のブランド
設立時に「ココ・シャネル」という名前になったといいます。

彼女は貴族たちのたまり場である「ラ・ロレンド」で歌っていましたが、
そこではいつも大喝采、アンコールが起こるほどの評判でした。
しかし歌手のオーディションに受かったのが、歌の実力じゃはなく、
客寄せのためと知った彼女は、キッパリと歌手への夢を諦めました。
勝ち気なシャネルらしい決断ですね。
そしてその後、恋人と一緒に過ごす中で、本格的にファッションの道を
歩み始め、ファッションデザイナーという転職を見出すことになります。

そして1910年、パリのカンボン通に「シャネル・モード」という
帽子専門店をオープンさせます。
さらにその3年後に、モードブティックも開店させます。
こうしてオーダーメイドの高級福を扱うようになりデザイナーとして
本格的にデビューすることになりました。
1916年には「シャネル・オートクチュール・コレクション」を発表して、
大きな話題を呼びました。
シャネル コレクション
これまでにないジャージの素材を取り入れたドレスは、「安くてシンプルで
着心地が良い」とたちまち大人気となりました。
「誰よりも輝きたい」っていう強い情熱を抱き続けたシャネルは、
華やかな恋愛遍歴を繰り返し、またその経験を魅力に変えていくことで、
香水やアクセサリーなどの先進的なビジネスを次々と成功させていきました。

そうこうする間に従業員4,000人を抱える大企業に成長していきました。
ただコレクション前の過酷な労働条件を不服に思った労働者たちが
ストライキを敢行するなど、対立が絶えませんでした。
幼い頃から苦労してきて、やっとその地位を築いてきたシャネルは、
どうしても彼らの考えを受け入れられませんでした。
そこで彼女は一部の店舗を残して、すべてのビジネスを閉鎖する決断をします。

さらに1939年の第二次世界大戦が激化し、それに伴って彼女は一時
ファッション業界から引退することになります。
ここからさらに、彼女の波瀾万丈の人生が始まります。
ナチス・ドイツがフランスの領土を占領することになったんですが、
そんな状況の中でシャネルは、ドイツ軍のヴァルターと愛人関係になりました。
数年後にフランスの領土は解放されましたが、シャネルは逮捕されて、
「売国奴」とフランス中から避難を浴びました。
その後スイスに亡命して、ゆったりとした晩年を過ごしたと言われてます。

10年間にわたる亡命生活を終えたシャネルは、フランスに戻って閉鎖していた
ブティックを再開させ、オートクチュール・コレクションも復活させます。
その当時、女性の社会進出が盛んだったアメリカで熱狂的に受け入れられ、
「最も影響力を与えたファッションデザイナー」としてモード・オスカー賞も
受賞しました。
ココ・シャネル2

このようにシャネルのモードは、ファッションの流行というよりも「社会現象」
って言われるほどの熱狂ぶりでした。
88歳までモードの女王として君臨し続けました。
彼女が死去した後、カール・ラガーフェルドがデザイナーに就任します。
カール・ラガーフェルドはココのスタイルを守りながらも、新しい時代の風を
取り入れて、シャネルブランドを再興させていきました。

 

シャネルの買取相場

今も変わらず、シャネルは女性の永遠の憧れのブランドとして君臨しています。
このようにシャネルは多くの女性に支持されている高級ブランドなので、
買取市場でも常に高値で取引されています。
例えば10年前のマトラッセのチェーンショルダーバッグなども、驚くほどの
高値が付くことがあります。
シャネル マトラッセ
シャネルは世界中の女性が憧れる一流ブランドであるため、新品・中古を問わず
高価買取価格が期待できますよ。